現在高校教師として教鞭をとっている低スペック喪女です。はっきり言って毎日が地獄!だけど、喪女なりに上を目指して頑張る日々を綴ります。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
運良く総合電機メーカーに就職できた私は会社の配属により上京しました。
このときもまた懲りずに社会人デビューしようなどと考えていました。
しかし、そんな夢はあっさり消え去るのでした。
まず、能力がないくせに大手に入ったことで研修についていけなかったです。
いや、これは言い訳で毎日6時に起きて18時に帰宅という生活は私には辛すぎて研修よりも「はやく終わらないかなあ」で頭いっぱいでした。
しかも、帰宅後は復習するどころかクタクタで寝てしまう始末。
私は自分が体力がないのか甘えているだけなのかわからず、すごく悩みました。
どうして、みんなそんなに元気なの?と不思議で仕方なかったです。
また、同期とも反りが合わず、明らかに私に攻撃的な人もいました。
中には友好的に接してくれる人もいましたが、研修が終わってそれぞれ同期は違う部署に配属されました。
私が配属された部署は若い人がほとんどおらず、上司ともこれまた反りが合わなくて苦痛の毎日でした。
「めんどくせえ奴だなあ」
「いちいち言わせないで」
等と言われ、いよいよ私は死にたいと毎日思うようになりました。
今思うと私が甘ちゃんだったのですが、当時は本当にどうしたら良いのかわからず、上司も放任主義だったため、私は会社に必要とされていないと思うようになったんですね。
そんなとき、精神科に通院していたのですが、自分は発達障害ではないか?と思い、専門医に診てもらうことになりました。
結果はグレイゾーンの広範性発達障害とのことでした。
これを機に、私は転職を考えるようになったのです。この会社では私の能力だと迷惑をかけるだけだし、何より職場が新人を育てようという雰囲気が感じられず、コミュ障の私には合わないんだと感じました。
これも今思うと周りに嫌われてでも良いから歯を食いしばって仕事を覚えるべきだったと思います。でも、何を言っても時間は戻らないですからね。
ちなみにこの会社には約四年間在籍していました。

にほんブログ村
PR
→ Comment
プロフィール
HN:
低スペック喪女
性別:
非公開
最新記事
(01/05)
(12/31)
(12/15)
(12/06)
(12/05)
フリーエリア
P R